あがり症を気にしているのは自分だけ、だからすぐに理性の行動を変える

あがることに慣れろ。いわゆるあがり慣れ。

 

あがる→普通に堂々とふるまうとする。 さっきまで震えていたのに、堂々とするのは?

自己矛盾が起きる。 しかし、本来の積み重ねてきた自分には自信がある。自信があるから普段堂々としゃべっているんだ。

  • あがることで「弱そう」に見られたんじゃないかと不安に思い、強がって攻撃的になったことがある。そうではなく、普通にテンパらなくなったら堂々とふるまえばいい。

マジで思考とかも止まっていくから

あがること(本能)と矛盾しないようにするために弱そうにふるまう(理性)

弱そうにふるまう必要はないけど、自分はええかっこうしいの小心者であることを受け入れよう。

緊張、恐怖の良き不安を恐れておじるだけ。

もうあがること自体を受け入れる。あがってそっからいかに通常の魅力たっぷりの自分になるか

あがる(本脳的身体反応)→不快感→劣等感→他人の声が脳内で響いている感覚になる

脳内の思考、震えてしまったとか、周りが慰めている目で見ているとか、気を遣っているのかな?ですごい自分を劣等感を感じさせてくるが、幻想である。

すぐに切り替え通常通り行動する。

あがることにビビり、どんどん消極的になってしまう人がほとんどだが、自分の場合は扁桃体が反応しているだけってわかってるから、声をデカくする、堂々とふるまったらいい。

矛盾はあって当然

あがることを前提にして受け入れていれば、消極的にふるまう必要はない。

声を小さくしたり、弱がるふりをする必要ない。すぐに切り替えてやっていこう

あがったら強い劣等感と、自己否定と被害妄想に脳内が満たされるだろうけど、すぐにファクト(自分以外重くうけとめてる人はいない)に戻り、いつも通り、おおらかにそして堂々とかっこうよくふるまおう。

今まで自分はなんで弱がるふりをしていたのか?気になっていたが、あがり症の自己矛盾を解消するために弱弱しく、自信なさげにふるまっていたんだ。

あがる→自己否定の反芻→通常に戻ったら楽しく会話しよう。劣等感から攻撃的になる必要はない。

これで受け入れてくれる人はかなりの数いると思うよ。 

大丈夫振り返ったら素晴らしい友達がいっぱいいる。

部分ばかり見る癖があると、自分はあがり症、対人恐怖でできているという錯覚に陥るけど、そうではなくて、ほとんどの人は「いつも皆を引っ張ってくれる自分」「堂々と自信のある発言をする自分」「ちょっとした冗談を言って笑わせる気遣いをもつ自分」「常に相手のことを気遣って、褒める自分」「あがり症で震える自分」、、、ってトータルで見てるんだよ。

だから、もし仲良くなれない人がいても部分に原因を求めるのではなくて、あー、自分とは合わなかったんだと考えた方が良いね。

まあ、あがったり、恐怖で苦痛を感じるのはほぼ幻想だからね~。

診療室であがったり、パニック発作を出そうとしても出ないことが多い。

出そうとすればするほど出ない

あがり症になるようにしよう。不安に逆らえば逆らうほど不安や脅迫は強化される。

 

人と楽しく話してたり、YouTubeトークしてたら気分が晴れるから、気にせず自信をもって話すのがいいと思う。

自信がないようにわざわざふるまうのは社会不安を出たときの自分と日常の自分とを矛盾させないようにしているだけ。

でも、鍛え上げた今の自分は普通に自信あるし、知識もある。

本能に合わせなくてよし、理性に合わせよう。

 

で、あがった後に堂々とふるまっていると、かなりエネルギーを消費する感覚に陥る。たぶん自己保存やろうね。矛盾があることや細かい部分を自分で指摘して自分でいじめている感覚

 

僕は、声が震えること、頭が真っ白になることで人に受け入れられない、男なのにみっともないと思っていたが、それは僕の考えである。自分の中で思っているだけなんだ。

実際はい無理ってなる人を探す方が難しいんじゃないかなー?

ええ格好しいが等身大だからそれを見せよ。あがる自分(本能)を見せてそっから自分で鍛えてきた資産を見せよ。